天山の山々を分水嶺として一つであるべき文明が東西に袂を分かった。
その東への流れをシルクロードと古人は呼んだ。
今一つの流れを、私は武術ロードと呼ぶ。
その流れの東南端に、きつ立するもの。
それは 跆拳 の道である。
日本が武道王国であるが故に
跆拳道にとっては コビの砂漠にも似た不毛の地であった。
長い長い苦難の道を我々先発隊は歩んできた。
哲人カールヒルティいわく「はじめに抵抗がある」はじめが人生の全部である。
今は亡き私の師匠が、「多賀谷君、悟りとは無茶苦茶だぜ」と言われた。
生涯忘れ得ぬワサビのきいた言葉だった。
格闘する若人たちよ、キレイごとは考えるな。
勝敗にこだわりぬけ。
鬼神となって闘いぬけ。
そんな試合の向こうにこそ、ほのぼのとした真の友情と人間愛が生まれるのだ。
激しい格闘技の選手たちの胸に飾られる金メダルは只一つ
礼の一字」
融心館 創設者 多 賀 谷 宏
(元大阪市会議員・平成元年 議長に推され花博などの国際的行事に活躍)
(大正7年12月22日〜平成4年5月6日 逝く)
その心は・・・
二代目 多賀谷 俊史館長が受け継ぎ
川津博 師範から
永遠に・・・